■ メトロ劇場(福井市)の シネマノート ホームページ版です。映画の感想等をお書き込みください。
■『あなたが選ぶ上映映画』
メトロ劇場では、ご来場の皆様によるアンケート投票をもとに、上映作品を決定しています。
このBBSでの上映希望はそのアンケート作品の選定(数多くの映画の中からアンケートにあげる作品を劇場スタッフで選定しているのです)に反映ささせていただいています。
ご来場されたかたのご意見で作品を決めておりますので、書き込みをされている方、映画を見に来てくださいね♪
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無題
スガキヨ
2025/06/03 (Tue) 18:42:59
ふかやでやろう。50だい福祉のしごとのやせたおにいさまだよにこにこでやさしいんだよ。やさしくする
「104歳 哲世さんの ひとり暮らし」雑感。
みきお。
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2025/05/28 (Wed) 17:18:16
前回より一か月ぶりの来館。帰途(間 狭めて来なくては・・)と自省した。
百歳 超への老婦人から何某 生きるパワー貰おうと思って来たのだが
結局 人生 お金だな と思い直した。
主人公の女性は 元 教諭で 80代で他界した彼女の連れ合いも さう
成らば 下世話な話に成るが年金など相当な額に成ろう。
勤め人の中では最高ランクのカネを退職後 手にする訳で それを踏まえて
それを踏まえての話なのだ と改めて思ふ。
確かに 踏まえなくても 踏まえても 生来の性格や生き方は有る
のだけど カネが入ると かなり影響 受け易いのは確か だろう。
だから 彼女は素晴らしい の一点主義には危なさ・危うさ を感じた。
と 云うのを前提で云うなら
やはり 彼女は素晴らしい 賢く生きてる。
笑っても泣いても人生なら 笑ってた方が賢い。
此れは彼女が師範卒だから得た知識ぢゃ無くて 仮に尋常小学校 卒でも
モノに出来た知恵だろ。
話は変わるが 彼女の手紙文は達筆だった。
流石 師範 出の女は違うな と感心させられた。
ま 地方のエリートだったんだろ。
家の仏壇は浄土真宗の本派のやうな仏壇だった。
その前で 額づく彼女の姿には(本家の嫁に嫁いだ以上
恥晒は出来ない)と云う女の意地を感じた。
法衣 姿の遺影も在り 存外 家は道場も やってた大檀家
だったのかも知れない。それで大家族で血縁の結び付きが濃く
一人暮らしでも演者が集まり易い一人暮らしの態なのだろと感ズ。
私も実は20数年来の一人暮らし だけど 此れは一人暮らしの
映画ぢゃ無く 大家族の映画だと思う。
こんたけ多くの親族や縁者が集まって来るのなら とてもぢゃ無いが
一人暮らし とは言へない。早い話 少し離れた離れに住んでる
老人の日常。それが出来るんは本人の人柄・・と本編は言いたい
のだろうけど 僕は先祖伝来の資産・カネが人を呼び寄せてる
と 穿って ひねくれて思ったのだけど 現実の世の中って
それだと思うのだけど・・な。 諸兄。
オマケの話に成るのだけど
彼女は1941年の春に赴任で その年の大本営発表時には
校庭で教師側に並んでて(此の いくさ早く終わらせて児童を
戦地へ送って成るものか!)と決心したんだけど 戦争に関しては
それしか描かれて無かった。
作家の三浦綾子は此の時期 確か同じく教諭だったか して居て
敗戦後 子供らの教科書に墨 塗らせた世代に当たり随分と
メンタルで苦しんだと自伝に書いてるけど 彼女は その点
どうだったのか?気に成る処だった。
本作の主テーマとは違う方向に向かうので触れなかった
のだろうが 若し触れてたら色合い的には 壷井 栄 の
「二十四の瞳」の戦後編のやうな かなり重たい映画に
成ったのかと感じた。
本作は記録映画で娯楽的要素も有るドラマでは無いけど
人が作ってるって点で記録映画のやうに撮られてた一般のドラマ作品
だと認知してます。
上映希望
ピヨコ。
2025/05/10 (Sat) 06:47:58
『ヴァージン・スーサイズ 4Kレストア版』
あのシーンを、音響の整ったメトロ劇場でまた観たいです
「映画を愛する君へ」雑感。
みきお。
E-mail
2025/04/30 (Wed) 14:45:34
前回より日が かなり空いたが久しぶりに来てみた。
いつものやうに上映時間と国籍だけ確認しただけの鑑賞だが
意外にドンピシャの作品と成った。
やっぱ 映画の神って居るのだろうな と思ふ。
内容は仏映画が考へる映画史概論を詩的に描いてたのだけど
かなり見知ってる作品や俳優さん・監督さんの顔が出て来た。
胸キュンに成ったのは上映の半分くらいの時にゲイルと共演した
クローデット・コルベールが登場して来た場面。私 数年前まで
彼女のプロマイドを鞄に入れて持ち歩いてたので心臓爆発!。
他にヒッチコック作品に出てたケーリー・グラント だったか
往年の名俳優だが まぁハロルド・ロイドの有名な大時計に
ぶら下がりシーンは映画史 語る上では欠かせないのだけど
昨晩 ユーチューブで「ピクニック」に出てたキム・ノバックの
自伝映像 見てたら 彼女のデビュー当時はマリリン・モンローが
のして来た時期なので会社側が彼女が希望してた本名 マリリンを
使わせず源氏名のキムにした と云う経緯が有ったけど
ま 映画史には色々な裏話が有るのだろうな と改めて感ズ。
最後は トリフォー監督へのインタビューで〆と してたけど
監督が語るサム・ペキンパーの「ワイルド・バンチ」評は かなり以前に
私も映画雑誌で読んだ事が有り アンジェ・ワイダ だったか
「灰とダイヤモンド」並みに当時の映画関係者には衝撃を与へた
ものと推察ス。「ワイルド・・」は当時 ワイルドな絵看板に
誘われえ私もオンタイムで観てるけど ジョン・フォード好きな
私的にも かなり違和感を覚へました。
グリフィスの名が一度だけで出て りミュエールの名が
3回も登場したんは流石フランスの映画人で微笑ましかった。
ま 神戸の岸壁に荷揚げされた本邦 初の映画機材が彼の会社製だったと
聞いてるので 日本も彼の業績を もっと評価すべきと思ってます。
無題
ゆい
2025/04/06 (Sun) 19:40:10
よくここに出没する、まさひろ,やトキアンて男,
チョーきもい(-。-;)
背丈は160くらいの,だらしない格好
頭は半分はげ,眼鏡でダラダラ歩く,
顔面ぼつぼつ,無職みたい,あばれる,
さいたま市,上尾市、に出没する,
ナンパしてくるき○がい
「ノー・アザ―・ランド」を見て
若泉
E-mail
2025/04/05 (Sat) 00:51:06
数えきれない生活空間の破壊と再建
命令書という紙きれが動かす重機
ユダヤ人ジャーナリストを受入れるパレスチナ人の「自然さ」
「自然さ」を「敵のために記事を書くバカ」と呼ぶ「同胞」
自然さを蹂躙する「国」
土地は語らないが、そこでの人々の思い出が映像でフラッシュバックする
語らない土地の上の忘れられていくパレスチナ人の生活と、ユダヤ人ジャーナリストの葛藤、銃撃や破壊による「生活を奪う」ことの非道さを写していると思った
「歴史」は、少数者、多数者によって異なるかもしれない
しかし、「歴史」ではなく、目の前の現実を見ろと言っている
上映予定/スケジュールの公開。2.上映希望の投票リストのパネル
左合直
E-mail
2025/03/28 (Fri) 16:18:14
今の段階で明日3/29の予定が不明なので電話で問い合わせました(決まっていた)。
・上映スケジュールは1ヶ月分のスケジュールではなくてよいので、次週だけでも決まり次第HPのお知らせ欄でよいので公開すべき。
・日程が決まってなくても上映決定の映画もその時点で知らせて欲しい。
そればわからなければ、メトロではなく他県で見ることになりメトロにもファンにも損失になる。今年に入っても私は「どうすればよかったか」と「愛を耕す人」は県外で観ている。
・何れも県内の他の映画館はそうなってる。要望というより映画館としての最低限の義務だし、スタッフだけの作業でできることと思う。
・館内の上映希望投票の候補リストや上映決定のリストに、既に決定したり、上映が済んだ映画までいつまでも残っている。こんなを見て誰も何も感じないのだろうか?
「ディックス・・」雑感。
みきお。
E-mail
2025/03/06 (Thu) 14:59:11
デッィクって云うのは私の つたない英語力では確か(棒)を意味し
棒ってスラング的にはアレを指し それが複数形ってのはゲイ二人が
主人公なんは察しが付いたのだけど 私的には楽しめなかった。
付いてゆけない ってのが正直な処。
そんな中で脇を占めた彼らの両親役の俳優と彼らの上司役の芸の確かさに
思いが いった。上司役は肉食系でセクシーなダイナマイト。
元職はラッパーとの事だが それだけで終わるやうなタマでは無いと解る。
いや演じた女優さんの話なんだが 同様に母親役のアクトレスも相当な
芸達者でブロードウエーにも出演経験あり なので性根が座ってるのだろ。
やっぱ舞台から上がって来てる人は地に足が付く芝居を される。
歌い方が往年のシンディー・ローパーそっくりだったので驚いたのだが
さう云うシナリオか監督からの指示も有ったのだろが上手く対応してた。
総合芸術と云われる映画に出るには多くの引き出しが無いと自滅する
やうな気が した。
映画的には若かりし頃に観た「ヘアー(1979年)」とか「ロッキー・ホラー・
ショウ(1975年)」とか思い出したのだが 既成の概念を皮肉るってな
意味では「マッシュ(1970年)」をベースに積み重ねてたやうにも見へた。
でも一番 映像的に影響を受けたんは「マスク(1994年)」だろうな。
「どうすればよかったか?」を見て
若泉
E-mail
2025/03/03 (Mon) 01:19:17
最初、見たあとSNSに短く書いたが、それ以上語る気が起きなかった。それから10日経って、メトロ劇場に足を運び再度見た。レイトショーなのにお客は多かった。
このドキュメンタリーは、統合失調症の姉を、監督である弟が両親の対応と生活を含めて20年にわたって撮影したもので、大部分が家の中の映像だ。チラシに「我が家の25年は統合失調症の対応の失敗例です」という監督の言葉があり、「どうすればよかったか?」以外にふさわしいタイトルはないように思える。
冒頭に映画が「姉の発症の原因を探ること」「統合失調症を説明すること」を目的としてはいないとの字幕が出る。そのように見てほしくはないということだろう。ではこのドキュメンタリーは何を写し、見る者に伝えるのだろうか。そこが最初見たあと、僕にははっきりと形にならず、重要なことを見たとだけは感じていたけれど、無理に言葉にすることは避けようと思った。そのように言葉にすることで、何か重要なことが逃げるように思えた。
何かを語る、書くということはどういうことか。語る、書くことと、語られ、書かれることが相互に引き合いながら表現となり、立ち上がると思う。この映画に写されていることは、「統合失調症となった姉と、姉に対する両親と弟の対応」ということだ。しかし、それは写された出来事であって、重要なことは写っていない。写っていないというしかない。つまり姉が何を考えているのかは分からないのだ。両親も弟も話し合い、「どうしたらよいか」を見出そうとする。そこに姉はいるのだけれども「触れられない」存在。僕は、大切なことは写っていないという状況で何を語ることができるのか。
ある過酷な状況に陥った人に対して、その状況を察することもできないとき、あるいは自分自身に何が起こったか分からないようなとき、立ち上がってくるのは「話すこと」ではなく、「どう話すか」ではないか。それは「存在すること」そのものの表れではないだろうか(寄り添うということはそういう立ち上がりに立ちあうということではないか)。「どうすればよかったか?」を見て僕が何かを言葉にするとしたら、「何を語るかではなく、どう語るか」についてだと思った。
一度目は胸がふさがるような気がしたけれども、二度目はすこし明るさを感じた。最後の父と監督との緊張感のあるやり取りは、家族を追い込む「社会」を浮かび上がらせる。見ている私たちの問題でもあるということだ。
やり取りのあと本編は終わる。「カット」という監督の声は、「これで終わり」という意味だ。しかし、それはスタッフの字幕の後に出てくる「最後」のカットにつなげるためのブリッジでもあった。最後のカットは「この失敗例をそのままにしないで」と言っているように感じた。
*****
監督がいうカメラの暴力性について。僕も人にカメラを向けて撮影する時に、「取り返しのつかないことをしている」と感じることがある。それは、カメラの暴力性だと思う。カメラはフレームで切り取る(見たいところしか見せない)。切り取られた映像は編集で選び、並び替えられる(伝えたいように並べる)。できた映像は、見る側の立場や組織、文化や歴史によって受け取られ方が変わる(伝えたいことを理解できる人とできない人がうまれる。あるいは、まったく別の理解をすることがある)。そうして成り立っている。このことを意識しながら撮影し、編集しなければならないと改めて思う。付け加えるなら、その暴力性は言語が持っているものだ。世界に広がる無限の多様性を言葉は切り取ることで成り立っている。切り取られ、同じ形にそろえられてやり取りがされる。元兵士が戦場での経験を話したがらないという話をきく。それは言葉の暴力性と関係があるのではないだろうか。
*****
姉への問いかけの場面が、本編でもっとも忘れがたい。一人部屋に座る姉に正面から「今何に興味があるの?」「僕に聞きたいことない?何でも聞いて、答えるから」と問いかける。影になった姉の口もとが少し動いた。このカットに、姉へのいとしさと触れたいという強い思いを感じた。
答えのない「どうしたらよかったか?」との問いは、「どう語るのか」という問いでもある。
「アブレンディス」雑感。
みきお。
E-mail
2025/02/27 (Thu) 15:16:28
朝一で春江の散髪屋から家に寄って此方に来たので体力的に疲れも
覚へたが それらが全て吹っ飛ぶ程の痛快な映画だった。
世の中は複雑なんだけど それらを自らの思考で単純化して
人は生きてゐる。その方が行き易いからだが その見本のやうな男達の
生き様が痛快で解り易かった。歴史ヒストリィの形を借りた冒険活劇で
戦前の戦争漫画(のらくろ)みたいな出世街道路線がベースに有った。
世に云う実力者・有名人には陰に名伯楽が居るのは周知の事実なんだけど
主人公の それがゲイで有ったのは別に驚く事も無かった。
有頂天に成って女で しくじるケースも多いので冷静に冷徹に事態を
見れるゲイの方がアドバイザーとしては存外 適任とも思へるからだ。
主人公とモデル上がりの妻との在りやう眺めてたらハリウッド神話の
一つ ハンフリー・ボガードと彼のモデル出身の妻の女優ローレン・バコールを
思い出した。ボギーもグリンボーイ時代は なかなかの野心家で
色々と噂も有った人なのでボギーとトランプとの出世階段の登り方は
似てるとも思ふ。
意外だったんは最後の名伯楽の葬儀で聞き慣れた讃美歌が流れた事。
曲名までは思い出せなかったが確か原曲は英国に有ったかと思う。
如何にもアメリカ&アメリカしてた男も最後は本国に帰りたかったのか
って云うか制作側も英国に帰させたかった のか?と不思議な気持ちに成った。
日本の仏教感覚的には物事は全て因果応報なので彼がエイズで落ちるんも
納得するんだが 其処を昇天と捉えるんが如何にものプロテスタント文化だと感ズ。
改めて云うと かう云う切り口はヘミングウェー好みの米国人らしい。
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